ハンセン病を正しく理解しましょう
- 遺伝病ではありません。以前はハンセン病に感染した母親から乳幼児へ、祖父母から孫へと感染したために遺伝病 と思われてきました。発病時には、その人の免疫力が関係し衛生環境や栄養状態も影響を及ぼしますが遺伝病ではありません。
- 伝染力の極めて弱い病原菌による慢性の感染症です。ハンセン病は「らい菌」による感染症です。 らい菌は、非常に感染力が弱く日常の生活では感染しません。治癒したあとに残る変形は後遺症で、伝染を意味するものではありません。
- 不治の病気ではなく結核と同じように治癒する病気です。1941年アメリカで特効薬が開発され現在、適正な治療により1年〜数年で治ります。したがって、治療した人と接触しても感染しません。一般病院の皮膚科で、保険診療で治療が受けれます。
沖縄県におけるハンセン病政策の変遷
① 旧沖縄県時代
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1907年(明治40年) 3月
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「法律第11号」(患者施設隔離のはじまり)
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1931年(昭和 6年) 4月 |
「癩予防法」(全患者施設隔離法) |
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②米国軍政府時代(占領政策時代) |
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1946年(昭和21年) 2月 |
軍指令第115号(全患者隔離取締令) |
1946年(昭和21年) 2月 |
軍指令第16号(住民及び軍人の施設入所禁止令) |
1947年(昭和21年) 2月 |
軍政府特別布告第13号(癩療養所の設立)
(患者施設隔離政策を主体とした米軍発布の癩予防法) |
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③米国民政府(琉球政府)時代 |
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1961年(昭和36年) 8月 |
「ハンセン氏病予防法」
(入所者の退所と在宅予防措置) |
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④復帰後の沖縄県時代 |
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1972年(昭和47年) 5月 |
「沖縄振興開発特別措置法」
(入所者の退所及び厚生事業並びに在宅治療を認める)
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1972年(昭和47年) 5月 |
「らい予防法」の施行
(前述の特別措置を例外とし、隔離政策を原則とする) |
1996年(平成 8年) 4月 |
「らい予防法」廃止 |
ハンセン氏病予防法の特徴(琉球政府公布)
1961年(昭和36年)8月琉球政府によって制定された「ハンセン氏病予防法」は、 治る時代を反映する如く、名称を「らい予防法」とせず、「ハンセン氏病予防法」と称し、治療によって軽快した入所者の退所と非伝染性患者の在宅予防措置を認めていた。また、琉球政府は1968年(昭和43年)にハンセン氏病予防法第8条(在宅予防措置規定)に基づき、沖縄らい予防協会の実施していたハンセン病在宅治療を追認した。
患者への偏見と迫害の歴史
1927年(昭和2年)徳島県出身の青木恵哉は、熊本回春病院長、ハンナ・リデル女史の指示を受け、誰からも救らいの手を伸べられていなかった病者救済のため沖縄に渡り洞窟やアダンの葉陰に隠れ住む病者たちを救済していた。 然し、地域住民の病者に対する偏見と迫害は烈しく、青木のもとに集った一行は、1932年(昭和7年)3月、羽地村を中心に起った地元住民の療養所設置反対の「嵐山事件」、1935年(昭和10年)6月屋部、安和に起った住民の「患者焼打事件」「ジヤルマ島逃避行」などの迫害に苦しめられていた。
嵐山事件 |
ジャルマ島 |
沖縄MTLの病者救済(沖縄キリスト教救癩協会)
1935年(昭和10年)沖縄のキリスト教会の牧師たちを中心にハンセン病患者の隔離推進と救護慰安のための「沖縄MTL」が結成され、1937年(昭和12年)屋我地島大堂原に「沖縄MTL相談所」を設置し、青木たち一行を入所させた。
沖縄県内の療養所設置
1931年(昭和6年)宮古島平良町島尻に宮古保養院(現・宮古南静園)が創設され、次いで1938年(昭和13年)2月には「沖縄MTL相談所」を礎に国頭愛楽園(現・沖縄愛楽園)が設置された。
外来診療所の設置
「沖縄らい予防協会」は各地に外来診療所を設置した。
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1962年(昭和36年)6月 那覇診療所 |
1966年(昭和41年)3月 |
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1970年(昭和45年)2月 宮古診療所 |
1970年(昭和45年)5月 八重山診療所
(八重山ではこれより先、1959年(昭和34年)7月、八重山保健所で在宅治療を始めていた。) |
在宅治療の効果
外来・在宅治療制度は病者を療養所に入所・隔離することなく、社会人、家庭の人として治療を行い、病者の社会性を尊重した治療を行うことを主体とした対策である。その上、早期発見と早期治療の実のあがる対策である。
下表の示す如く外来治療制度を開始するや施設隔離を恐れ在野に隠れていた未治療の病者たちは治療を求めて、外来診療所に集り、新患者の登録数は一時著明に増加する。これにより治療が行きわたり、以後新患者の発生は顕著に減少していく。
沖縄では1962年(昭和37年)外来治療を始めた一時期、1967年(昭和42年)には年間173名もの新患者登録を見たが40数年たった2005年(平成17年)、2006年(平成18年)は、はじめて沖縄県内の新発生患者は「0」を記録し、以後年1〜2の発生の年もあったが新患の発生はほとんどなくなった。
※在宅治療開始(昭和37年)後の減少状況を示す。